――彼女がここに来て初めて感じたのは不愉快さであったが、それは
予感だったのかもしれない。黒髪の美しき彼女の名は王異。人によっては
頭に「SR」をつけて呼ぶこともあるかもしれない。
 彼女の軍中での役目は専ら鼓舞である。後方で士気をあげるために秘伝の
舞をひたすらに続けるのである。これが出来るものは、彼女以外には絶世の
美女と呼ばれる甄皇后しか存在しない。が、王異の持つどことなく動物的な
しなやかさは、また違った美しさを持っており戦乱の世にひしめく君主達にも
大いなる人気があった。
 さて、この王異を配下に持つとある君主は所謂魏の武将達に混ぜて使っていた。
「同じ勢力」に属するが故である。今ではその中でもとりわけ名将司馬懿や宰相荀ケは
王異にとって歴戦の盟友といってもよく、殆どの場合同じ軍中に彼らを見かけるのであった。
 この魏の同僚達に囲まれている環境は王異にとっては心地よいものだったらしい。
礼儀を弁えた文化的な人物を彼女は好んでおり、それは彼女が西涼の人間を嫌う一種の偏見持ち
であることからもあきらかである。
 その上この環境に置いてとりわけ自分の力を発揮できている、と思えることが嬉しい。
自分のことを美しいと気づいていない彼女も、戦勝の後に舞の美しさを褒められるとついつい
いい気分になってしまい、夜にはお酒に軽く口をつけてしまって頬を赤くすることもまま
ある。
 だが、王異のそれなりに充実した生活も、君主の気まぐれによって軽々しく打ち砕かれる
こととなる。ある晩君主は王異を見ながらぽつりと、
「偶にはネタに走るか」
 そう口にして、ニヤニヤしながら編成を弄くっていった。今の部隊を気に入っていた王異で
あったが、君主に逆らうなど出来るはずも無い。その意味において、あらゆる武将は無力である。
「これでよし、と」
 編成を終えた君主はなぜだか満足気味であった。デッキケースという名の宿舎に収められた
王異は終わったか、という思いと共に回りを見渡すが、そこで思い切り顔をしかめる。
汗の匂いが鼻にツンとつく。

(これは・・・)
 そこに居るのは、頭の悪そうな筋肉や、小ざかしそうな老人、すばしっこそうな小人など
様々であったが、そこに通じるのはいずれも彼女の嫌うような人種であった。しかも、皆が皆
自分を嘗め回すように視線を向けている。露骨な嫌悪を覚える王異。
「賊ばかりか・・・ここは」
 思わずそこから目をそらし、ポツリと漏らしてしまう。本来なら戦友となるべく相手には
礼を払う彼女であるが、無遠慮な視線に耐えられなかったのだ。意味も無く身体を隠すように
縮こませ、数歩あとずさる。
 小物然としたまるで盗賊のような男が、そのまま王異の毅然とした顔をみながらニヤニヤして
臭い息を吐く。
「お、いい女みっけ・・・ってこれからは一緒に戦うんだから仲良くしようぜ。へっへ・・・」
「な、何を・・・!ひぃあ・・・」
 侮辱されたような気になって怒りをあらわにする王異だったが、後ろからのおぞけの走るような
感覚に思わず言葉を失う。振り返ると顎の突き出た田舎臭い男が、こちらもまたにやつきながら
尻をなであげていたのだ。ば、と身を翻してそこから離れる。
「ふぅむ・・・わしの妹や、かの貂蝉とまではいかんがなかなか美味そう・・・もといいい女だわい」
 がはは、と品の無い笑いにつられて、回りの男たちも笑い出す。王異を嘗め回す視線の数が更に
多くなった気がする。王異にはこういった男たちの感覚が理解出来なかった。その内に一人の
老人らしき人物が王異の前に進み出る。好々爺といった風情だが、この男たちの仲間と考えれば
油断できる相手ではなく、むしろその笑顔が王異にはこの上無く不気味に感じた。
「まあまあ、そんなに警戒せずとも・・・どれ、折角新しくここへ来られたのじゃ。
戦場に出る前に演習でもしておいたほうがよかろう」
 賛成〜とどこからともなく声があがる。演習、確かにその必要はあるだろう。普段であれば
生真面目な王異なら真っ先に賛成するところだ。だが、この男達の言葉を信じることがとても
ではないが出来ない。首を振ってはっきりと拒絶するが、
「なんじゃ、王異という女は女であることにあぐらをかいてサボろうとでもいうのかのう」
 と挑発された途端、頭に血が上って
「いいわよ・・・やってやろうではないの・・・」
 そうタンカを切ってしまった。しまった、と思ったときにはもう遅い。ニヤリと口の端を歪めた
その老人は、いこうかのう、と言って模擬戦場へ向かう。王異は歯噛みしながら望まなかった
新しい戦友達とともにそこに赴くしかなかった。

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